2018-10-25 00:30 | カテゴリ:教訓
僕は今日、職場で師匠的な人に、
自分がアニメ好きであり、
今回、僕が昇格を希望した理由を素直に話した。

好きなアニメの名前はあえて言わなかった。
いったところで何になる?って話だったし、
仮に言ったとしても「忍たま乱太郎」という題名は出さなかっただろう。

「忍たま乱太郎」と自分から言ってしまう事は、
自らの手の内をさらすような気がしたから。

トランプゲームの大富豪に例えるなら、自分の中で忍たま乱太郎の存在はジョーカーのような存在だ。
自分から「俺、ジョーカー持ってるw」なんて宣言してメリットはあるだろうか。

言ったところで相手が2枚以上を連続で出されたり、スペードの3を保持していたりしたら勝ち目がないだろう。
かといって最後までのけ者にして手元に残っていれば、反則負けになる。

大富豪のジョーカーは強いけど、扱いが難しい存在なのだ。

僕が見ている忍たま乱太郎という存在もそうだ。

言ってしまえば「僕が今こうして毒親から離れられた(一人暮らしでいる)理由」である反面、
「自分の世界を変えてしまった物」でもある。

不思議だ…


と、話は逸れたが、

そこで好きなアニメ=忍たまであることやネガティブな言葉はつかわずに今の気持ちを伝えてみた。



怖かったよ。

笑われるんじゃないかとか、

でも、結局は、

「それが熱意になってるなら、それは素敵だ」
「裏を返せば、その作品が大好きなんでしょ?」
って色々な人に言われて、なんか酒の勢いもあってか泣きそうだ。


今、自分が反逆の意を称えた引き金が、まさか…

忍たま乱太郎や、一年は組連中を否定すれば、
どんどん悪い方へ進んでいく。

でも「自分は忍たまって言っても笑われない存在になってやる」って思えば、
物事はプラスへ進んでいく。


全てを捨てて強くなろうと思ったから、
自分は失敗しかかっている。

僕が好きな某グルメ漫画だって結局そうだ。
主人公が強いのは自分の実力だけでは駄目ってきがついて、
ポジティブにいろんな人や色んなことを吸収していった事の積み重ねだろうし、
のび太的人物も、自分に自信を持ったり、その主人公に学んで強くなっていった気がした。

脳みそ一年は組wってバカにしていたけど、
一年は組は机上の勉強やプレッシャーに負けてばかりの一年い組より、忍者できてるっていうしね。


でも僕の属性は闇だと思っているし、光なんて僕じゃないって思っている。


どんな時も落ち着いて、静かに闇と同化すれば、ぬらりくらりと動けるようになる。
冷静でいれらるようにするには、今ある事と同化すればいい。

僕を支えているのが、霧のような幻想である限り…


「摂津の」を否定しても、霧丸を名乗っている以上「摂津の」との関係は回避不可。
かといって霧丸の名前は捨てられない。それもまた、僕と「摂津の」と同名だと考えれば楽になる。つーか、腐女子はやたらと「摂津の」を悲劇の主人公扱いしたがるけど、僕は「摂津の」が不幸な子だとは思わない。
少なくても、両親はいなくなったとしても、今こうして同じ学校で素朴で優しい同級生や先生やクラスメートに出会えて、彼は幸せだって思っているのは事実だと思うし、

奴の親がどんな奴かはわからない。
ひどい奴だったのかもしれない。

そう思うと、一概に戦で家がなくて可哀想って思えないんだよね。


不思議な事に笑

それを一方的に可哀想とかいってる連中…人の幸せの価値を勝手に決めるな。


僕は乱太郎の家みたいに普通の家の出で家族はいるけど、
実家に戻りたいとは思ってない。
むしろ、実家に帰ったら長男じゃないけど数ヶ月後に首吊って死ぬって思っている。
(長男も俺も富山の実家には帰りたくないって言って二人であるあるネタいって笑ってる)

人の幸せ、人が生きる糧。
それは、その人しかわからないって、
口に出してみて思った今日この頃。

管理者のみに表示する